【郡上藩MONO蔵屋敷vol.3 -3】暮らしをつなぐ味噌煮 〜愛と知恵の郷土食〜

地味噌の生きた記憶と水の謎

郡上の味噌汁を飲んだときから、謎は深かった。魚介のような旨味?大豆というより肉?みたいにハテナが幾つも浮かんだ。そして、味噌屋に行けば味噌の隣にすっくと立つ「地たまり」のボトル。簡単に言って塩辛い醤油なのだが、最後に味を決めるのに、香りとパンチが欲しい時、地たまりにお世話になることが多く、私はラーメンの出汁にもよく使う。だが、実際「地たまり」が何なのかが分かっていなかった。

郡上の味噌は、おしなべてゆるく、やわらかい。畑中商店の味噌蔵にお邪魔して驚いた。茹でた大豆を麹でかばして、全体がモスグリーンに変化した後、なんと大量の塩水で漬け込むのだ。蒸した大豆ではないことも家庭在来の仕込みに近く珍しいのだが、一般的に知られた味噌は、煮豆に麹と塩をまぜてつぶしたら、味噌玉にして、エイヤッとばかりに樽に投げ込んで空気を抜きながら詰めてしまうものだ。日本の味噌作りのベースに水の出番はない、はずだ。

ところが郡上の地味噌はみ〜んな塩水で仕込む。白鳥町のいづやこうじ店、大坪醤油、丸昌醸造場。大和町の畑中商店。八幡町の清水みそ、大黒屋、ヤマニ商店。郡上の全ての蔵元が郡上の水で仕込む。それは、ただ郡上の水がよいからではない。

「たまり(醤油)をとるためやんな。」

麹で発酵した大豆が大量の塩水につけこまれること1年から1年半。熟成が長いために塩分濃度も高い。いよいよ味噌を取り出そうという樽の中に、かつて細長〜い竹籠が立てられていた。その名も「たて」あるいは「たまりたて」。畑中さんのところでは、その姿を見てもらうために、タテを入れた樽がある。

そのタテの中に溜まった上澄みがいわゆる「たまり醤油」なのだ。ということは、郡上では、味噌と醤油は同じ成分、同じ樽から出来るということになる。どうやらこれもかつての百姓の知恵らしく、発酵大豆を圧搾して醤油をとるというハードな作業よりも、一回の仕込みで来年の味噌と醤油を同時に作れるという方法こそが、暮らしをつなぐためのスタイルに適していたらしい。そしてこれは、奈良時代に中国から入ってきた豆や麦を使う植物系醤(ひしお)そのものともいえる。

今でこそ郡上の蔵元は、商品として味噌とたまり醤油を別々に作るものの、味噌と醤油を売るというのがしごく当然なのは、同じ樽で仕込む百姓の一石二鳥の方法が現在も生きているからに違いない。かつての笑い話に、たまり醤油をとりすぎて、味噌の味がしなくなる、ということがあったらしい。塩気も旨味もない大豆の残りカスがそのまま味噌になっては、さぞかしはりあいがなかっただろう。

もちろん細かい製法は蔵元によって違う。その多くが大豆と大麦を使うが、その割合や大麦を煎るのか煎らないのか。ふかした大豆と粉にした大麦をまぜる段階で麹をつけるのか、別々につけてから混ぜるのか。(つまり豆味噌とも麦味噌ともいえない)。先述の大豆を煮るのか蒸すのか。味噌の発酵を止める酒精を入れるのか入れないのか。そもそもどんな種麹を使うのか、などは問われることも答える機会もないというのが地元の味噌屋の世界であり、大豆の蒸し具合や発酵の具合は、それぞれの蔵元がもつあんばいで決まるものだ。

今回、動画で紹介した畑中商店は、ふだんから味噌作りワークショップや味噌煮を作って食べる会を開き、在来の製法について、郡上の地味噌の不思議と魅力を語り続けている。かつて味噌屋がなかった頃、村々では共同で、味噌の仕込みをしていたところが多かった。麹屋にそれぞれが作った大豆を醸(かば)してもらい、それを皆で一斉に仕込んでいた時代、そこではどんな話が咲いたのだろう。畑中商店さんでの味噌作りWSは、そんなひと時を彷彿とさせる。私もそこに引き込まれた一人だ。

さて、郡上に住み始めて食べることになった味噌汁が、肉汁のように感じた初感は今もって変わらない。そこには塩辛さではなく、この深い山間で生きるために必要なエネルギッシュな大豆の旨味、疲れを忘れさせる大麦の香味が、麹による発酵で凝縮されている。それに火をかけて土地の物を食べるという味噌煮もまた、身体感覚としての必然性、囲炉裏が暮らしの中心に存在した場から生まれたものだろう。

私たちは、知らず知らずその土地の記憶と風土で成り立っている。「暮らしをつなぐ味噌煮」が「暮らしをつないできた味噌と醤油」の物語でもあることは、知っておいてよいのではないかと思う。

【郡上藩MONO蔵屋敷】

vol.3: 暮らしをつなぐ味噌煮 〜愛と知恵の郷土食〜(郡上藩江戸蔵屋敷)

#アウトドア#冬#告知#宝暦義民太鼓#拝殿踊り#暮らし#江戸蔵土産#猪鹿庁#白山信仰#白鳥おどり#農家さん#郡上の踊り#郡上ジビエ#郡上市白鳥町