郡上おどりと盆踊り

郡上藩江戸蔵屋敷 vol.7 レポート


< 郡上おどりの「正調」とは? >

郡上おどりのルーツを辿っていけば、それは即興的で、時代を経て多様に変化し続けているように見えます。唄や踊りにそもそも、「正調」なんてものは存在しているのでしょうか?

郡上おどりの「正調」を追いかけ続けている踊り子の一人、國枝あつさん(以下、あつさん)をお迎えして、議論を深めました。

日々観光客相手に郡上おどりを教えている國枝あつさん

「まず私は、郡上おどりは基本的に、自由で楽しいものだと思っています。ただ、みなさんが楽しく踊るためのルールというのがあるんです。

演歌を聞きにいく時に、アイドルのようにオタ芸をしたりヘッドバンギングしたりしないですよね。郡上おどりもそれと同じで、皆が基礎的なノリを持っていることで、より楽しい場ができると思うんです。自由な場を存分に楽しむためには、あえてベーシックな「正調」を覚えていただくことが大事なのではないかな?」

郡上おどりの「正調」は、先述したように、伝統の継承のためにできたもの。「元々の踊り」をそのまま後世に伝えて行こうという目的で、郡上踊り保存会が先導して進めてきました。

「踊り講習に来られる方なら知っておられるかと思うんですけど、郡上おどりって毎年細かく変化してるんです。変化していて「正調」って言えるんか?疑問をもたれる方が必ずいます」

変わらないことが「正調」という見方もあるけれど、ルーツを辿ることで今の解釈とは違ったものが見えてきた結果、「もしかしたらこうだったんじゃないか」と見直すことも「正調」を追い求める姿なのではないか?
あつさんは、そのように受け入れてらっしゃいます。

そう話すあつさんは、何をきっかけに「正調」にこだわりはじめたのでしょうか?

「『あの人の踊り、かっこいいな』と言われる人には2種類あるように思います。周りと同じように手あげてるんだけど、大きく振りをつけて単に気を引こうとする人と、型を忠実に押さえて踊っていた結果、他の人と違う動きにたどり着いた人」

その違いを、井上さんが「守破離」という思想とリンクさせます。「守破離」というのは歌舞伎や能などといった伝統芸能やお稽古する世界で使われる。「守」は、とにかく型を学んで修行をする段階。「破」は、長きに渡った修行の後に、自分の世界がほの見えてくる段階。最後の「離」は、自分の個性を出してることからすらも離れている段階だといいます。

そんな最終段階の「離」を迎えていたのではないかと考えられる伝説的な人が、10数年前まで郡上におられたというのです。その人は踊りの名人、岩崎名人。手ぬぐいを泥棒のように頬被りし、腰には大きなひょうたんをつける、という独特の風貌で踊っていたといいます。多くの人が真似しようと健闘していましたが、彼の動きは決して型を学ぶだけでは再現できないのだそうです。

岩崎名人の独特の動きを真似する、江戸蔵屋敷スタッフの堀さん

「彼が街に踊りに行く前に何をされていたと思いますか?毎晩、自宅の姿見の前で「正調」を踊って、自分で一通り確認されていたそうです」

伝説の境地に至った岩崎名人が、最後まで「正調」をベースに踊っておられた。あつさんは、「正調」があればあるほど、「守」を超えて、独特なものが生まれる可能性があるのではないかと考えるようになったのです。
これから郡上おどりに入門される方も、長年のファンの方も、今一度「正調」を見直してみてはいかがでしょうか。

ひょうたん。岩崎名人が持っていたのは、もっと巨大なもの