郡上藩WEB蔵屋敷 Vol.3

2020.11.10


紐解く「蔵開きのテーマ」


【江戸時代から続く里山のクラブカルチャー拝殿踊りとは?】
〜歌と踊りが生み出すグルーヴの秘密〜

郡上藩WEB蔵屋敷vol.3のテーマは、ズバリ「拝殿踊り」です!城下や町場で踊られる郡上踊りや白鳥踊りとは、場所も設定も内容も違う拝殿踊りは、里山のクラブカルチャーなのではないか?そんな仮説を検証すべく、今回は江戸蔵案内人・井上博斗が郡上内外で見聞した民謡や踊りの中で特に衝撃を受けた「拝殿踊り初体験物語」から紐解きます。また、拝殿踊りでしか立ち現れないグルーヴの秘密をつかむべく、ゲストに名音頭取り2人をお招きして実際に歌を掛け合う予定です。もちろん、解説は郷土史家の高橋教雄先生です。江戸時代から続くこのダンス・メディアを表も裏からも探る今回の配信、ぜひチェックしてください!



郡上藩WEB蔵屋敷 vol.3 「延年の遊宴セット!」

今回は、全て白鳥町で生まれ白鳥町で育ったお酒、山芋、お米、梅干しを、その菓子台の供物に見立て、「延年の遊宴セット」としてお届けします!どれも無添加・無着色、全国区の地の逸品です。
かつて宴は、歌(ウタ)と餉(ゲ/食べ物)によって成り立っていたことを心身に蘇らせながら、配信を存分にお楽しみください!

配信日時   : 令和2年11月21日(土)19:00〜21:00( WEB蔵開き開始19:00 )
配信URL    : https://youtu.be/3OGjjKT4RhA

江戸蔵みやげ:5,000円(送料・消費税込)
定  員  :10名
お届け方法 :配信前日までにお届けします
内  容  :延年の遊宴セット

・特別純米酒・元文720ml(原酒造)
・自然薯1本(清流の里しろとり)
・六の里棚田米1.5kg(六ノ里棚田米生産組合)
・延年しそ漬け梅280g(Plum Nature)

※「くくるをめぐる-白山文化の里白鳥」ビジュアル冊子付

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案内人:井上博斗の想い

もしも「拝殿踊り」に出逢っていなかったら、民謡への、盆踊りへのイメージはまったく違っていたものになっていたと思う。そこには主役も脇役もなく、演者とお客にすら分かれていない、真に掛け合いのステージが展開されていたのだ。今から10年近く前、初心者だった自分も思わず唄いながらその踊りの輪に入っていった。あまりに驚き過ぎて興奮し、むしろ前のめりになったのだ。

「拝殿踊り」は正しく老若男女が入り乱れ、誰が入ってくるか、どんな歌詞を出すかで場の雰囲気はいかようにも変化する。唄には即興あり、笑いあり、失敗ありの世界で、江戸時代から続いているのに、現在もまったくその場の緊張感とエンタメ感が失われていない。そしてその輪に加われば加わるほど各拝殿にいる音頭取り、「レジェンド」たちの凄さもまた分かってきたのだった。

今回は私も歌盃(うたさかずき)を交わしてきた名人たちをゲストに迎え、拝殿踊りの表と裏、歴史と現在を座談しながら、唄の掛け合いを即興で披露。得もいわれぬグルーヴで心地よいWEB蔵屋敷vol.3になるようご案内したい。



ゲスト紹介

【お一人目は日置正樹(ひおきまさき)さん。】
1964年に白鳥町前谷に生まれ、現在も前谷地区在住。幼い頃、とてつもなく楽しそうな大人の世界として憧れた前谷の拝殿踊りが途絶えていたことを憂い、2006年に同地区の仲間たちと復活。「前谷踊りの会」代表をつとめていらっしゃいます。また郡上の俚謡(民謡)の継承活動として「郡上放歌の会」を2018年に立ち上げ。立ち上げ前から指導して頂いている白鳥の民謡レジェンド見付義勝さんに習いながら、現在も会員と一緒に講習活動や、地域の結婚式の祝い唄などの出張依頼も受けています。日置さんは、足袋の実作や、かな書の手習い、郷土食「チソズシ」を母から伝承するなど昔のくらしをかえりみるのが何よりの楽しみだそう。ふだん着としての着物の着くずしなどもめちゃかっこいいのですが、当日をお楽しみに!

【お二人目は猪俣元子(いのまたもとこ)さん】
猪俣元子さんは、1941年生まれ。白鳥町六ノ里地区に生まれ育ち、結婚後も六ノ里在住の79歳です!子供の時から「拝殿踊り」に親しみ、栃洞や平谷、野添といった六ノ里地区を含む旧牛道村の宮での拝殿踊りで唄ってきたといいます。「拝殿踊りは出たとこ勝負」とは本人の弁ですが、これが比類のない即興の名人なのです!僕が郡上で最も衝撃を受けた唄い手の一人です。ちなみに元子さんは、白鳥の唄名人・見付義勝氏の従兄妹にあたり、更に上の世代の六ノ里のレジェンド、故北山勇氏の民謡クラブで一緒に民謡に親しんだといいますから、この六ノ里地区は本当に唄どころだったとことがしのばれます。また、現在はご高齢で拝殿踊りには見えないけれど、まだまだ唄える方がこの辺りには、ごろごろいらっしゃるそうです。そんな元子さんがいつも元気で六ノ里の3つの拝殿に唄い踊りに来られるのは、毎日のお百姓仕事によるものかもしれません。こうした日々の営みと、楽しみだった拝殿踊りの関係を、配信ではお聞きしたいと思います!

【三人目は解説者として、高橋教雄先生】
1945年生まれ。郷土史家。大乗寺住職。郡上市文化財保護協会会長・郡上史談会会長をつとめるなど、郡上地域の歴史研究調査と啓蒙活動を行う。主著に『美濃馬場における白山信仰』『郡上宝暦騒動の研究』、郡上の『歴史探訪』シリーズなど、著作・論文多数



2020.11.21 Vol.3 蔵開き配信URL






紡ぐ「蔵開きを振り返って」

WEB蔵vol.3は、「拝殿踊り」の実相をひもとくべく、解説に郷土史家の高橋教雄氏、ゲストに拝殿踊り保存会の猪俣元子さん、日置正樹さんを迎えた座談会を11月21日に2時間にわたって生配信した。そこで浮かび上がったのが、娯楽・信仰・招来が一つになっている踊りの特異なかたちだった。

【なぜ拝殿踊りか】

そもそも「盆踊り」や、社寺の祭礼日に踊られる「縁日踊り」は、各集落の宮の境内や、江戸時代中期に各村で建立された「拝殿」で踊られてきた。そのため「宮踊り」という呼称も一般的であったが、この「拝殿通り」という名前が正式に定着したのは、2001年の県の無形民俗文化財、2003年の国の無形民俗文化財に「白鳥の拝殿踊り」として指定されたことが大きい。実際には、白鳥町だけでなく、現在の大和町、明宝町、高鷲町でも「拝殿踊り」は各地区に存在している他、2014年から始まった「拝殿踊り発祥祭」の由緒となっている1723年7月9日の盆踊り中止命令「盆中御宮にて踊り申事奉行により停止の書状到来」(経聞坊留記)によれば、当時「拝殿踊り」とは呼称されていない。「白鳥の拝殿踊り」が文化財指定される証としては、後にふれる「場所おどり」という古態の曲を残していることも大きい。したがって、ここでは文化財としての「拝殿踊り」のかたちではなく、「拝殿」でこそ行われた歌踊りの時空や、共同体のメディアとしての「拝殿踊り」をひもといてみたい。

【拝殿で踊るから拝殿踊り】

私が拝殿おどりに初めて出会った時、町の路地で踊られる郡上八幡の「郡上おどり」や「白鳥おどり」のフェスのような融通無碍の高揚感とは違って、まず「拝殿」の屋根の下で歌い踊る人群れの絵が夜の闇の中に浮かび上がり、そしてその「拝殿」という礼拝のためのステージに自らも上がる、素朴だが厳粛なアクションこそが記憶に残っている。何かを拝むためでも祈るためでもなく、ただ歌い踊る楽しみのために上がるというふわふわした心地。「拝殿」にあがってしまえば、そこは踊り手達の歌の掛け合いと下駄の音によって踊られる「娯楽」のステージなのだが、拝殿に上がるという行為なくしては、拝殿踊りの輪に加わることはできない。逆に言えば、「拝殿踊り」は「拝殿」を下りてしまえば、あるいは拝殿で踊られなかったとしたら、文字通り「拝殿踊り」ではなくなるということだ。『郷中盛衰記』には、「延享時代(1744~47)までは、宮の拝殿は九頭(戸隠神社)と祖師野(金山町八幡神社)のばかりのよし、盆中氏子拝殿にて夜明かし踊り候由、それより宝暦・明和の頃より村々に拝殿建」とあり、拝殿のさきがけが和良郷で、徹夜踊りになるほどの賑わいがあったことが分かる。

【拝殿踊りはクラブカルチャーか?】

「拝殿」は、神が依り来たる「本殿」に対して、人が拝んだり奉納したりする舞台である。各神社の祭礼日(縁日)に神事が行われた後、供物をともに饗応する「直会(なおらい)」が「拝殿」で行われる。そして「拝殿」の屋根には灯りとなる「切子燈籠」がぶらさげられ、夜に「拝殿踊り」が行われる。各神社の氏子にとっては、それは神事と直会の後の夜の余興、楽しみとしての実感が強い。よって拝殿によっては、拝殿にさらに舞台を付設して、俄芝居や芸能祭を催してきた時代もあった。もし、「拝殿踊り」が「クラブカルチャー」と言い換えられるとしたら、それは各集落がそれぞれ神社の境内に「拝殿」という「ハコ」を持ち、屋根下には、「ミラーボール」に代わる「切子燈籠」が吊り下げられ、そこにはそれぞれの「ハコ」を代表するような音頭とり、「DJ」(ディスクジョッキー)がいるから、ということになるだろう。また、各拝殿踊りの日(祭礼日)が違っていたことによって、地域ののど自慢や踊り助平は、隣村や峠を越えての他所の村の「拝殿踊り」に通うことができた。そういう行き来も含めての徹夜踊りに、かつての若者の中には、盆の4日間~7日間は、ほとんど家に帰らない者がいたり、意中の娘と逢引をする者、夜這いをする者など、まさしく合コンの場でもあった。大和の拝殿踊りの別称に「ホゾヌケマツリ」「ホゾヌケヒロイ」とあり、人妻でもあっても自由に出逢いを楽しめる場だったことが寺田敬三氏の記録にある。

【場所おどりと新旧の歌盃】

さて、「拝殿踊り」の最初に唄われるのが「場所おどり」である。「場所おどり」は、雨乞い踊りやお礼踊りであった「かき踊り」と同じ分布を示していて、その大元が「バショ/バショウ」と呼ばれていたこと始まる。「ヤレそろりとよ輪をつくれ~ヤレお月のよ輪のなりに~やれ揃うたらちとおろす」というような歌詞で始まるのだが、場所おどりを始めることを「場所をおろす」という。これは、歌を唄うことそのものなのだが、「聖なる場所に神を招き、神仏を褒め称える」ことを意味する。実際にかつて石徹白では、盆に白山に登拝し、中居神社での場所おどりにおいて、白山神を招き、ほめたたえたという。これが客人神を迎える日本古来の考え方とも連なり、他所者を大切に受け入れる「場所なのり」に発展したと思われる。

「場所なのり」とは、地元の者が他所の者に一時的に踊りの主導権を預けるために「他所村を名指す」ことで、「歌盃をさす」ともいう。また、この「名乗り」には、「なおる」という意味もあり、神事や仏事などの「法筵の場所に客を迎える」ことを意味し、郡上弁で「なおっとくれ」は、客にあらためて席をすすめる意。こうした作法にのっとった交互の「名乗り」それぞれに、説経節のような中世の物語や、白山や宮を即興で褒め称える「頌歌」、終わりに向かうめでたい「しずめ歌」があるため、ややもすれば何時間も、あるいは夜を徹しての「場所おどり」だったという。戦争による若者不足の影響もあり、戦後はこうした「名乗り」はすたれた。現在でいう「歌盃」は、「名乗り」や「頌歌」ではなく、自由に、即興的に、誰もが音頭を取り合えることを指しているが、このことだけでも「拝殿踊り」の特異な点であることは間違いない。

【マジカル・ステップ考】

「拝殿踊り」の、踊りの特徴に何と言っても足さばきがある。逆に言えば、手の振りはないに等しい。これもまた古態の踊りを示唆する伝承だろう。「場所おどり」に代表される六歩の運びは、アジア・ユーラシアの芸能神事にひろがる「反閇」(へんばい)の一種であるといわれる。「反閇」とは、魔除け、厄除けであり、地霊を鎮めるための呪いであり、修験道や日本人の精神性にもよくなじんだものと見え、火山と地震と暴れ川にみちたこの列島で二万年近く生きてきた先人たちが、大地を踏み鎮めるためのマジカル・ステップを採用するのは当然だと言える。アメノウズメの桶の上での舞踏、能の原型「三番叟」や「翁」、歌舞伎の六方、東大寺お水取りでの「逹陀」の儀式では、練行衆が闇夜の堂内を、床をふみ鳴らす乱調音とともに走り回る。むろん真っ暗で見えないわけで、資料によると「差懸」という木沓を履いているとか。「拝殿踊り」も、時に騒然とするほどに下駄の音が、木の拝殿の床を鳴り響かせる。古老によれば、「騒がしいのやバタついたような音は、拝殿踊りじゃない、もっと摺り足の音が大事なんだ」、と聞いたことがあるが、それでもなお手踊りがイメージされる盆踊りにあって、ステップ、踏み鎮めこそが拝殿踊りの面目躍如であることは、一目瞭然だろう。

【即興と掛け合い】

拝殿踊りをハシゴするようになると、何が即興で、何が定型の歌詞かということが分かるようになる。基本的に、盆踊りの歌詞はおしなべて江戸時代の都々逸が選択・流用されていて、拝殿踊りも同様である。地元の作業唄が踊り唄に転化したものを中心に、長い歴史物語からなるクドキモノや数え唄、「チョイナチョイナ」と呼ばれる草津節や、大正時代の演歌「ストトン節」といった流行歌謡が取り入れられ、そのなかで春唄、ダジャレ、即興による掛け合いが生まれる。そこに集ったものが最も興奮する瞬間であり、時に掛け合いは、2人、3人による同時の音頭が生まれる。それが年寄りであればあるほど、耳が遠いのか、我が強いのか、他人に歌をゆずらないまま歌い続ける。踊り場は、笑いに包まれ、次の音頭取りに流れがゆだねられていく。時にその場をこわすような無礼講の若者が歌をかけたり、酒でべろべろになった者が一節うなることもある。そんなとき、やはり土地の古老が即興で鮮やかにいなす、その場の文句でもって見事に返すのを見たことがある。拝殿踊りは、これだから凄い。曲は決まっていても、その実何が起きるのか分からない。にも関わらず、場をおさめたり、場をつむぎなおす唄い手がまだまだ健在なのである。

【集落の可能性】

こうして拝殿踊りは、古代の人々の習俗を保ちながら、現代においてもなお信仰と娯楽と招来が一つになった状態を維持している稀なる歌踊りといえる。古代に老若男女や、恋人同士が掛け合った「歌垣」や東国でいうところの「かがい」もまた、拝殿踊りの掛け合い唄の系譜の一つだろう。座談会では、実際に即興で唄を渡されることを通して、かつては村同士の掛け合いだったものが、よそから来た個人を喜んで迎え入れようとする地元の方の想いとして受け止めることとなった。歌と踊りのグルーヴの秘密とは、いわばそもてなす想いがもたらした「歌盃」という型にあらわれている。拝殿踊りをもつ村が過疎化や若者の流出により自然と減っていく中で、この踊りの在り方そのものが、これからの集落の可能性としてあるのではないかと、解説の高橋教雄氏の指摘もある。筆者自身が、そのようにして集落に移住して来た者であり、今もそれに触れたことで移住するきっかけになった者がいる。また、こうした「拝殿踊り」がもつ神と人、人と人との媒介機能、「メディア」としての特性に気づき、途絶えていた「拝殿踊り」を復活する新たな世代も登場している。観光地として、何万何十万人を引き寄せる盛り場の盆踊りとは正反対に、里山の集落で、数十人の拝殿の上で歌踊りを楽しみ、暮らしをはじめようとする人がいる。「江戸時代から続く里山のクラブカルチャー拝殿踊り」とは、今こそ地域のハブメディアなのだろう。






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