郡上藩WEB蔵屋敷 Vol.1

2020.09.05


紐解く「蔵開きのテーマ」


Vol.1 歌い踊るヒトがつなぐもの
〜生粋の郡上八幡人が語る〜


今年はコロナウィルスの影響により、郡上おどりは全日程を見合わせ。遠方からいらしてくださる皆さんの落胆する姿を目にしながら、郡上に暮らす私たちもなんとも言葉にならない寂しさを感じています。

その一方で、この空白となってしまった期間は、郡上おどりをこれまで以上に楽しみ、親しめる機会をつくり出してくれるのかもしれないと思えるようになりました。

そう、郡上おどりのディープなところに触れてもらおう!私たちが地元のおじさんやおばさんの話をきいて、魅了されてきたように・・・

vol.1 は、郡上の芸能文化の発起人を数多くつとめる古池五十鈴さんと、郡上八幡を代表する郡上節の名手・後藤直弘さん、そして解説には郷土史家の高橋教雄先生に集まっていただき、案内人・井上博斗の進行のもと、地元郡上でしか聞けないような話を座談会形式の講座としてお送りします。

郡上おどりにまつわる思い出話や、弾き手唄い手から見る今の郡上おどり・・・ゲストそれぞれのココロの中にぐーっと潜っていく中で、皆さんにとって郡上おどりの新しい見え方が生まれるような時間となれば幸いです。

遅ればせながら、このお二人に来ていただくということは、もちろん生歌も配信します。きっと、いつもと違った気持ちで唄が入ってくるのではないでしょうか。




WEB蔵屋敷・新企画「江戸蔵みやげ」をお見逃しなく!

告知動画はみていただけましたか?配信まで残り2週間と迫ってきまして、さらに皆さんに楽しんでいただけるように、「江戸蔵みやげ」をご準備することとなりました!

各講座のテーマに合わせて、スタッフが厳選した郡上の逸品たちを皆様のご家庭にお届けします。当日はスタジオでもゲストと一緒にこちをいただく予定ですよ。

今回は初回ということで、10箱限定の貴重な江戸蔵みやげ。本日、今!より注文受付開始!!というわけで、歩くな、急げ〜◎

【 郡上藩WEB蔵屋敷 vol.1  江戸蔵みやげ 】

■ 内容(限定10セット!)
■ 注文開始 2020年7月21日 20:00〜

■ 申込締切 7月27日(月)

■ 入金締切 7月29日(水)

■ 発送日 7月31日(金)

■ ご注文フォーム

こちらから


Vol.1 歌い踊るヒトがつなぐもの 予告動画




案内人:井上博斗の想い

【精神の地軸が立っている人】

郡上八幡の七不思議のうちの二つは、後藤直弘さんの唄声と、古池五十鈴さんの音頭とり、と私は思っている。お二人とも齢八十を越えているのに、郡上八幡の文化の屋台骨を支える象徴的存在のままというのも凄い。後藤さんの唄う「まつさか」でないと、郡上おどりを踊り明かした気にならない人は多いし、涙する人も少なくない。配信当日も少し唄ってもらう予定だが、あの唄声はいったいどこからきているのだろうか。

また、毎年の江戸落語から上方落語の会の企画運営、句作や新内流し、「八幡小唄」や長唄「花のみよしの」の復元など、郡上八幡の最前線の芸能芸事の多くが、いつも五十鈴さんが店主をつとめる喫茶「門」界隈から渦のように巻き起こっているのは何なんだろうか。音頭はとっているのに淡々としていて真面目に遊んでるよう。不思議さはいやに増すばかりだ。

さて、その底なしのエネルギーをまとったお二人に通底する、気高い芯のようなものがあるとずっと感じてきた。「郡上八幡人」とでも呼びたいような精神の地軸が体にスッと一本通っていて、それにふれるたびに、ああやっぱりこうありたいものだな、と思わせてくれる。

今回はそんな人生の大先達をお招きして、私が最も聞きたい「歌い踊る人がつなぐもの」に関する質問をぶつけてゆくという趣向である。何度となく聞いた話から、初披露の話まで、座談会を生ライブでお届けするなかで、そのお二人の生粋を少しでも浮かび上がらせることができたらと、何を隠そう私が一番楽しみにしている。






ゲスト紹介



【お一人目は、古池五十鈴さん】
1940年生まれ。喫茶「門」の店主。「金儲けよりも人儲け」が信条。長唄「花のみよし野」「八幡小唄」を復元・復活上演を手がける。
郡上八幡文化協会会長、郷土文化誌「郡上II」代表をつとめる他、「昔をどりの夕べ」や、32回続いた「郡上八幡大寄席」を経て現在は10回を迎えた「郡上八幡上方落語の会」など郡上八幡を象徴する芸能文化を支え続ける。

【お二人目は、後藤直弘さん】
1937年生まれ。半世紀以上にわたり「郡上節」の唄い手をつとめる。「郡上おどり保存会」、「郡上おどり八幡おはやしクラブ」その他で唄・おはやしの講師を担う。
2018年にCD『後藤直弘の郡上節 桝田耕三直伝を唄う』を出版。「自分のためではなく人のため」がモットー。

【三人目は解説者として、高橋教雄先生】
1945年生まれ。郷土史家。大乗寺住職。郡上市文化財保護協会会長・郡上史談会会長をつとめるなど、郡上地域の歴史研究調査と啓蒙活動を行う。主著に『美濃馬場における白山信仰』『郡上宝暦騒動の研究』、郡上の『歴史探訪』シリーズなど、著作・論文多数





2020.09.18 Vol.1 蔵開き配信URL

30分の編集バージョン




紡ぐ「蔵開きを振り返って」

WEB蔵vol.1は、解説に郷土史家の高橋教雄さん、ゲストに郡上おどり保存会で唄い手の後藤直弘さん、郡上八幡の生き字引、古池五十鈴さんをお迎えして、「歌い踊るヒトをつなぐものとは何か」というテーマのもと、ご自身の体験談による座談会を8月2日に2時間にわたって生配信した。ここでは、あらためて「郡上おどり」が生きている時空をおさらいしながら、現在も無数の人をひきつけ、変化し続ける「郡上おどり」の求心力を探ってみたい。

【郡上おどりの時空ー拝殿から路地へ】

江戸時代中期には成立していたという郡上八幡城下町での「郡上おどり」をどのように言うかは無数の呼び名がある。「盆踊り」「縁日踊り」「亡者踊り」「彼岸踊り」「路地踊り」「廻遊踊り」。これらは歌の内容というよりは、踊りの時と場を表している。いつ、どこで、誰が踊っているのか、という時空間についての謂いなのである。

郡上八幡城下町が遠藤氏によって江戸時代に整備された時、現在の北町と南町を分ける吉田川にかかる宮ヶ瀬橋のたもとに、かつては岸剣神社(白山宮)があったことが古絵図でも確認されている。もともと村落の縁日踊りは宮の拝殿で踊られてきたが、この城下のお宮はその狭さゆえ「拝殿」がなかったため、御神橋である傍の宮ヶ瀬橋が「拝殿」として踊られたと伝えられている。さて、城下町が栄えるにしたがい、そこは「盛り場」として人が押し寄せるようになる。ましてやお盆は一年の最大の縁日であるから、橋上での拝殿踊りは、やがて路地にあふれ出す。現在も盂蘭盆会の4日間がこの宮ヶ瀬橋のたもとの辻で踊られるのは、拝殿から路地にあふれ出した名残りなのである。

【士農工商おしなべて?】

その路地で踊っていたのは、建前では「農工商」に代表される町人百姓、庶民たちである。青山公が治めていた天保期には、家臣とその家族の参加を禁止するお触れを出しているが、逆に言えば、顔を頰かむりで隠して踊った武士も多くいたのだろうと高橋先生は指摘する。宝暦騒動(郡上一揆)が終わった後、青山公のはからいにより武士と百姓の融和のために郡上おどりが踊られた、という美談も存在するが、盆踊りの通念としてやはり江戸時代は百姓たちだけが踊ったともいえる。

【七大縁日という結界のもとで】

「郡上おどり」は、現在も踊り期間に入っている「七大縁日」の宵に踊られるようになったという。縁日とは、祀られた神仏をもてなす最も大切な日で、城下町では以下の7つの縁日が定められ、その宵に踊られた。

7月16日の天王祭り(八坂神社)
8月1日の三十番神祭(大乗寺)
8月7日の弁天七夕祭り(洞泉寺)
8月14・15・16の盂蘭盆会
8月24日の枡形地蔵祭り(枡形町)である。

天王祭に始まって、地獄の釜の蓋が開き、地蔵盆で締められるというのは、京都洛中の夏の祭礼日と同じである。街づくりは、千年の都を踏襲し、神仏による結界によってデザインされているのだ。解説の高橋教雄氏が、「歌い踊るヒトをつなぐものとは」の問いに「骨格に信仰・白山信仰」と答えたのも、神仏のお膝元での「縁日踊り」という前提からきている。

【郡上節の移入と伊勢起源説】

郡上おどりの際に唄われる「郡上節」。興味深いのは、実際の踊りの場では「古調かわさき」に始まり「まつさか」で締められるということだ。どちらも伊勢の地名である。「かわさき」については大和口神路の祭礼に踊られた「川崎おどり」「かがさき踊り」が元だという。こうした郡内でかけられた祭礼は、伊勢外宮の御師による大規模な巡回型フェス「御鍬様祭」の影響下にある。御師らの目にも耳にも新奇な歌踊りを土地の者が馳走をしながら、芸を真似ていったことが記録に残っているという。「まつさか」もまた伊勢系の木遣歌が原型と考えられている。郡上にもともとあった歌踊りや作業唄と習合していったにせよ、伊勢参りの流行もあり、伊勢音頭が郡上の祝い唄になっていることからも、伊勢からの文化的影響、イセナイズが大きかったのは間違いない。

【大正時代の保存会成立と昭和の二大名人】

明治7年の盆踊り禁止から四十有余年、大正12年に「郡上踊保存会」が成立。すでに「囃子屋形」(踊り屋形)があり、太鼓や三味線を弾いていたのは城下町の芸妓が主であった。昭和に入ると、「新かわさき」や戦後の「さば」から「春駒」への改曲など、楽器伴奏が付くことによる新調の郡上節が生まれた。ゆえに、そうした伴奏が付かず、あるいは改編されなかったものを「古調もの」と呼ぶようになる。こうした流れにあって昭和後期に登場したのが「猫の子」や「まつさか」などの情緒豊かな古調ものを得意とした枡田耕三、そして「かわさき」や「春駒」「やっちく」などリズミックなものをその美声と歯切れの良さで得意とした坪井三郎である。二人は、正調郡上節とまでいわれた名人であった。昭和30年代に入会した現在の保存会切っての唄い手・後藤直弘氏は、この二人を師として桝田節と坪井節を受け継ぎながら、「江差追分」など北海道民謡なども修練し、息が長く粘度が高い後藤節を響かせている。個人の名調子こそが、その時代時代の郡上節をつくっていくのだから、踊りもまた世に連れて変化する。後藤さんは10年近く前の徹夜踊りで、唄と踊り手が一体となった夜が忘れられないという。馴染みの喫茶店主が、その境地を察知して、店から飛び出してきたほどだ。こうした悦楽はいつの時代も変わらずに、ある瞬間に奇跡的に存在し続けることだろう。

【踊りつつ 招きいざなふ 手のありぬ】

2020年、コロナで踊りが中止に決まっていた初夏、八幡の喫茶門の机の天板に、豪雨見舞いとして届いた絵葉書が挟まれていた。絵葉書にプリントされていた俳句は、高浜虚子に師事した福井の俳人・皆吉爽雨の句であったことは後から確かめた。この句を見た時、今年はないはずの郡上おどりがありありとその場に立ち上がり、店主の古池五十鈴さんとその話でひとしきり盛り上がることになった。郡上おどりは参加型の盆踊りと言われて来た。ところがそれは連やチームで参加するのではない。立って見ても、踊りからいつ抜けるのすら個人の自由だ。そしてこの句のように、友人や踊り場だけで出会う知己の者の手招きで踊りの輪に入ったり、輪の中で移動したりという光景は、当たり前でいて特別なものかもしれない。

【踊り談義もまた踊り文化】

そうやって郡上おどりに度々通うことになると、手や腰の動きがどうだとか、今晩の音頭取り(唄い手)がイマイチだとかいう通人に自然となってしまうことになる。だが、何が正しくて正しくないか、なんてこと新米に分かるわけがない。そんなときには例えばこの古池五十鈴さんが立つ喫茶門を訪ねて、郡上おどり談義としゃれこんでみてもいい。郡上おどりを楽しむことを主にした「八幡おはやしクラブ」の設立、高橋竹吟師を迎えての民謡や三味線の研鑽につとめた「竹吟会」、そして大正期に作曲された長唄「花のみよしの」の復活など、話は「郡上おどり」にとどまらず、郡上芸能史にいざなわれていく。もしかしたら、江戸時代の町人たちも、こんなふうにああだこうだと芸能談義していたに違いない。歴史は、人それぞれの物語でつむがれる。ゆえに今も郡上おどりに集まる人々は、歌踊りへのセンスやクオリティ、愉悦をともに追い求めてやまない。「歌い踊るヒトをつなぐもの」とは、やっぱりこうした探求の楽しみと、「招きいざなふ」無数の手なのかもしれない。

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