【郡上藩MONO蔵屋敷vol.3 -5】暮らしをつなぐ味噌煮 〜愛と知恵の郷土食〜

冬の味噌煮は静かに語りかける

数年ぶりにまとまった雪が降り続いている郡上。雪がいったん降りつもると畑仕事はできなくなり、かつてのお百姓は冬の間、山仕事や炭焼きをして暮らした。1970年代から80年代を最後にそうした暮らしを続けていた祖父に、小学生から中学生の冬休みの間ついていって遊んだという方の話を聞いた。

二人はまだ夜の明けぬ暗いうちに家から5キロほどの雪深い道を、山の中へ入っていく。山小屋につくなり、祖父はそばの炭焼き窯で黙々と炭焼きを始め、孫はその山小屋で火を焚きつける。毎日持参しているのは、味噌と味噌煮のための具材。小さな鍋を火をかけ、少量の雪解け水に味噌をとき、その日その日に持ってきた具材を入れていく。はんぺんなども味噌煮に入れたり、あるときはヤマドリやウサギが罠にかかり、味噌煮に入れられたという。

祖父と一体何を話したのかは覚えてないそうだが、一日中続く火の番も、昼飯の味噌煮を仕掛けるのも子供には面白い遊びの一つだった。夕方になると、孫は白炭1俵15キロほどを縄で背負い、祖父は3俵を背負子でおねて、きた雪道を日暮れてしまう前に帰るという毎日だった。

動画「暮らしをつなぐ味噌煮」の最後に登場してくれた井上妙子さんは、山仕事に行った男たちが、昔の大きな缶詰の空き缶を使って味噌煮を火にかけて食べていたという話をしてくれた。そして子供たちは、親の帰りを待ちながら囲炉裏の火の番を、そしてやはり自分たちで味噌煮を作って食べたという。子供たちにとっても雪国の長い冬休みを過ごした象徴に、火の番と味噌煮があることは、私にとって決定的だった。味噌煮は、どのような状況であれ、あるものだけで食べつないだだけではなく、大人から子供でも用意できる食べ方だったのだろうと、はっきりと絵が想像できたからだ。そしてそれは美味しかったし、今でも「うんまいよ」とその人に言わしめるものだった。

砂糖や味醂などを入れて味噌煮を甘くしたり、胡麻油を入れて風味を出したり、煮詰めるのは美味しくない、といったあっさりめの味噌煮の食べ方も、時代が豊かになって色んなモノが買えるようになった、いわば味噌煮を調理するという発展だと思われる。もちろん、味噌煮には定番の鯖缶やツナ缶を入れるようになったのも、そうした物流の発展ではあるけれど、山村であればあるほど、味噌煮は濃く、調味料を加えることは未だにないようだ。

12月から3月にかけて降り積もる雪のなかで、物流も人流も、そして畑すらもが閉ざされると、人は保存食で食べ繋いだと、もうそれ以上掘ることがないように聞かされてきた。だが、郡上では味噌煮という常備食があったのだ。表立って語られることがなかったそれが、今俄かに注目を浴びているのは、それが食事という形で郡上人の生き方、来し方を表しているからだろう。全てが用意され、何でも選び取ることができるのだという慢心と錯覚が蔓延するこの時代。土地と切り離されてしまった孤独が誰しもに沁み渡ろうとするこの現代に、味噌煮はこの土地での穏やかな生き方、この土地のあたたかさを、静かに語りかけてくれている。

【郡上藩MONO蔵屋敷】

vol.3: 暮らしをつなぐ味噌煮 〜愛と知恵の郷土食〜(郡上藩江戸蔵屋敷)

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